和田かなめさんを勝手に応援するブログ

福祉・介護政策の実績と提言力

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和田かなめ講演会(2月4日)

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【御挨拶】

土曜日の大変お忙しい中、しかも荒尾では市長選挙ということもある中、県内各地からお集り感謝いたします。ありがとうございます。

なぜ私が声をあげようということになったかということのバックグラウンドをお話しし、皆さんと一緒にこの選挙を闘いたいと思っているところです。

 【はじめに】

私がどこに行っても紹介する中身があります。

小林一茶の辞世の句で「盥から 盥にうつる ちんぷんかん」というのがございます。この最初のたらい(盥)というのは、実は産湯(うぶゆ)の盥のことです。高度成長期を境に私たちは病院で生まれ、最後は病院で死んでいくと、全てが病院にお世話になりますが、私の妹が生まれたとき使った盥が、今回の震災の壊れた小屋から出て来ました。生まれた日付などが書いてある盥です。この間までこのような風景があったのです。そして2番目の盥は湯灌(ゆかん)の盥です。五木寛之という作家が朝鮮半島から引き揚げ、久留米の奥に引揚者で帰ってきました。昭和30年代の初めです。その時に、お母さんの体を家族で最後の別れ、湯灌したということが随筆に書いてあります。私たちはこのように二つの盥のお世話になるわけです。ところが今これらは全部病院で行います。私の友人に医者がいますが、私は「死んでからは玄関から出し、玄関から入れてほしい」といいましたところ、「いやぁ、死んでから玄関からとかめっそうもない。縁起でもない」というわけです。

生まれたら死ぬことは決まっているわけです。小林一茶は江戸時代に、生まれてから死ぬまでの、今でいえばライフステージを考えていたとつくづく思うわけです。しかし私たちは自分の一生がちんぷんかんであったのではならないと思います。長生きしてよかったなという社会を今の日本で作ることが、私たちの役目だと思うのです。

                              つづく